シティボーイに見えない

 野田新総理は、両親が農家出身なので、自身もシティボーイに見えないのではないかと話してましたね。
 実は、わたしもシティボーイに見られません。いまも昔も。
 とはいっても、江戸時代は朱引き内とはいっても巣鴨村ですから、シティボーイではないのかな……。

 漫画編集者時代、同世代の漫画家アシスタントと話していたとき、マガジンハウス(当時は平凡出版)の話になりました。
「不況のせいでマガジンハウスは募集してなかったんですよね。あそこは仕事が面白そうだし、給料が物凄く高いんですよ。入りたかったなあ……まあ試験に落ちたでしょうが」
 と言ったところ、アシスタントのひとりが、
「でも、あそこは東京出身者しか採用しないそうですよ。受け付けてもくれないでしょう」
 だから、端から駄目と言うのです。
 ほかのアシスタントもうなずいていた……ということは、わたしは東京出身者ではないと思われていたわけです。
 見てくれがシティボーイでなかったら、マガジンハウスも採用してくれないのかな。
 ちなみに、アシスタントのひとたちは、ほとんどが地方出身者でした。仲間と思われてたんですな。それはよいことか。

 まあ、慶應ボーイでなく早稲田マンですからね、わたしは!
 そういや、野田新総理も早稲田だった。
 それ以前に、東京育ちはどんくさいんですよ。上京してきた同期生たちが、すぐに垢抜けていくのを見ました。貪欲に東京のトレンドを吸収していくんでしょうね。
 その場にいつづけていると、あまり関心ないのかも。だって、大学に入るまで、遊びにいくとしたら池袋でしたからね。新宿なんて遠かったし、渋谷や銀座なんて遥か彼方でした。
by ashikawa_junichi | 2011-09-05 14:48 | 四方山話 | Comments(0)
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