1956年の『高校コース5月号』

 北園高校時代のクラスメート・OKくんから、1956年の『高校コース5月号』を、ブログのネタにでもといわれて、もらいました。北園高校のことが記事になっているからです。
1956年の『高校コース5月号』_b0122645_23493050.jpg
『高校訪問』というコーナーで、北園高校が取材されていました。読んでみると、当時は「指導教官制」という制度で、生徒が先生を選べたのだとか。そうなると、1年から3年までが一緒のクラスにいるようで、縦のつながりが強くなるとか。その代わり、横のつながりが薄くなると。クラスは先生の数だけ、およそ30クラスだそうです。
 魅力的なのは、時間割を自分たちで組めることです。
 この制度は、クラスごとに先生の気質を反映して、生徒の個性も伸長するようですが、同学年との競争意識が希薄になり、大学受験には不利になるようです。さらに、北園は単位取得が厳しいなか、採点の甘いい先生を選ぶ生徒も。そうした問題があるので、再検討の時期がきていると書いてありました。やはり、のちにこの制度は廃止されて、普通のクラス編成になったようですね。この制度、体験してみたかった気がします。
 北園高校は、もとは旧制府立中学(いわゆるナンバースクール)だったので、この当時は進学率がよかったのですね。ぼくらの時代は、学校群制度のせいで、学力(いまでいえば偏差値)がずいぶんと下がっていました。そのぶん、運動部も弱くなっていたのが、不思議といえば不思議。
1956年の『高校コース5月号』_b0122645_23495404.jpg
 ほかの記事に「自慰について」というのがあり、文学に出てくる自慰の変遷から、宗教が自慰を有害だという偏見を作り上げた歴史的な記述を経て、最終的に「自慰は無害である」と結論づけています。
 連載小説は八木義徳、松本清張、峰 雪栄、鹿島孝二でした。
 さらに、早稲田の宗教哲学の名物教授・仁戸田六三郎先生(名誉教授でもある)の連載もありました。「若き日の愛情について」です。先生については思い出があります。大学時代、つきあっていた彼女に、とつぜんほかに好きな人が出来たと別れを告げられた直後、茫然自失のていで先生の授業を聞いていたら、たまたまですが、先生は理屈も何も通らない「恋愛実存放射能」について話されました。おお、そうか。オレは、ほかの男の恋愛実存放射能で恋人をとられてしまったのか!と、一時的に納得した次第。
1956年の『高校コース5月号』_b0122645_23524123.jpg
1956年の『高校コース5月号』_b0122645_23525077.jpg



by ashikawa_junichi | 2019-10-21 00:14 | 人生 | Comments(0)
<< 神保町『魚金』からBAR『街路... 新宿ルミネを見ながら呑む >>